2月18日 言葉

私は人前で喋るのがとっても苦手な子供でした。

授業中、先生にあてられても顔が真っ赤になりました。

国語は割りと好きでしたが、お話ができなかったので通信簿はいつも5段階評価の4でした。個人面談で母親は先生から「発表がもっとできたら5になるんだけど」と言われたそうです。

話が苦手でもしょうがないと思っていましたが、ある出来事があってから考えが変わりました。

友達の結婚式によばれてスピーチを頼まれたのです。

あんな不始末をしてしまって、はじめから断っておけば良かったと今でも後悔しています。

たいした練習もせずに望みました。文章も全く要領を得ていませんでした。

名前をよばれて前へ出て、立ったとたんに頭のなかは真っ白。

何ともいえない会場の雰囲気。

何人か友達がそばによってきてくれましたがその場をどうしてしのいだのかも覚えていません。

なにも喋れずに私はカッコ悪さだけを抱えて帰ってきました。

その友達にはほんとに悪いことをしました。会わす顔がありません。

 

それからです。

このままではダメだ。こんなに話ができないようでは、子供にそれがうつってしまう。そう思いました。

長男が小学校に入学すると、懇談会というものがありました。例によって私は何一つ意見をいうことができません。

だけど心のなかに意見がないわけではなかったので、必ずひとつだけは意見をいうことを自分に課しました。

声が震えました。頭が真っ白になりそうなことも何度もありました。

話の途中で止まってしまうことも。

それでもずっと続けました。

こちらに超してきて、農業をはじめてから勉強会がありました。

わからないことばかりだし、失敗ばかりです。何とかして出来るようにならなければと主人と二人必死でした。

質問ありませんかと言われて黙っているわけにはいきません。

メロンやユリやトマトをつくっていたのですが不良品ばかりできるので、それを販売しなくてはお金ができません。

今度はお客さんとのやり取りです。一番苦手でしたくないことで、逃げ出したいほどです。

だけど逃げるわけにはいきません。

子供もいるし生活できなくなります。

前に進むしかないのです。覚悟を決めて前へ前へ。不安を書き消してしまうほどに頑張らなければならなかったのです。

 

家族作りは会話をたいせつにしてきたつもりです。夫婦の会話と家族の会話が子供たちの言葉の原点になると思ったからです。

 

こうして私は何とかおしゃべりを克服していきました。

何事も訓練です。

  “トレーニング”“トレーニング”

何とかなるものです。


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ふるさとの山