2月26日 温故知新
“古きを訪ねて新しきを知る”
高校生の時、世界史の先生からはじめて聞きました。
こんな番組がありました。
ハイビジョンスペシャル 「謎(なぞ)の都・飛鳥京発掘 〜よみがえる“水の都”〜」
と題して飛鳥の遺跡の発掘を8ヶ月に渡って取材したものでした。
私たちの住んでいる丹後には古墳がたくさんあります。
大学で考古学を勉強していた娘が、「講義で丹後のことがいっぱいでてくるんよ」って言ってたのをおもい出します。
青龍3年(西暦235年)と刻印された銅鏡が発見され、日本最古のものかと話題になったこともあるそうです。。
3世紀ですもんね。それだけでなんかすごいです。
その頃中国や朝鮮では内紛がおきていました。三國志という本が流行りましたがその頃です。
きっと追放されたり亡命してきた大陸の人が日本海側にたどり着き、日本海の海沿いに住むようになり、太陽を求めて南に下り飛鳥の里にたどり着いたのではないかと想像しています。
特に冬などは冬季鬱になるほど、日照時間が少ない日本海側。
“光を求める”人の心は身に染みてわかります。
飛鳥地方は大和三山の少し南に位置し、水に恵まれたところだったようです。
そこに大陸とよく似た水路や池をはりめぐらした豊かで華やかな都を築いた。
では、なぜ藤原京や平城京、長岡京、平安京に都が移っていったのでしょうか。
飛鳥京はもしかしたら水をたくさん使いすぎて不足してきたのではないか?
盆地だから地下水がたくさんあったけども、町づくりにもあれほど大量の水を使って、人も多くなったのではたらなくなるかもしれない。
資源には限りがあるので。
琵琶湖から流れる水を求めて京都に北上していったのではないか?
主人と私は熱く語り会いました。
やはりキーワードは“水”。
水のあるところに人は集まっていくような気がします。
以上、主人と私が想像の力で考えだしたものです。
学校で習う歴史とは全くちがいます。
あしからず。
菜の花が咲きました。白和えにして食べました。