3月11日 理科教育

もう30年近くも前のことですが、長男が小学校に入学した時、“理科”がなくなりました。

なんでだろう?と不思議でした。

 

理科は大事でしょ。と私は思っていたからです。

 

私が小学校の低学年の頃、理科の授業をまったく難しいなどと思いませんでした。

“当たり前に分かっちゃう。”という感じです。

ところが高学年になるとなんか難しくなってきたのです。

 

今思うと、低学年の時は生活体験と理科教育が密着していたから頭をひねって考える必要がなかったのだと思います。

 

田舎でしたしお手伝いもあたりまえでしたしね。

おふろの火をたいたり、七輪に火をおこす手順なんてお手のものでした。

少しの新聞紙を底に入れて、その上に油分の多い“すぎば(杉の枝を乾燥させたもの)”をのせて、“からけし(お風呂の薪が炭のように残ったもの)”をおく。そしてマッチで火を着けるとあっという間にお魚を焼く準備完了です。

 

大人が灰を保存しておいて、畑に灰を撒くのもちゃんと見ていましたね。

灰が畑の肥料になっていたのです。

親からいろいろ教えてもらった覚えもありません。

 

料理はまるで理科の実験です。

ホットケーキをふわふわに美味しく焼くにはどうしたらいいのか?

私の最大の研究課題でした。

 

生き物が生活の中にいました。

お米をつくっていたので、牛も飼っていました。

 

祖父が田んぼを耕したり、代かきをしていた風景を覚えています。

 

学校の帰りヒヨコをもらった来て、家で飼ったりもしていました。

ふわふわで小さくてすごくかわいいヒヨコですが、あっという間に大きくなります。

 

自分で虫取網をつくってセミやトンボを取ったり。

 

台所からザルをもってきて、川でメダカを取ったり。小さい魚がメダカだと思っていたので「メダカ、メダカ」と言っていましたが、あれは魚の稚魚でした。

いっぱいいるのにこれがなかなか掬い取れません。

 

雀が捕まえたくて仕掛けをつくって挑戦しましたが成功したことはありません。

 

そんな暮らしだったので、それだけで立派な理科教育だったのですね。

 

天才バカボンというマンガが流行りました。

 “♪西から上ったお日様が東に沈む♪”

 

お日様は東から出て西に沈むんでしょ?

変な歌と思いながらも、あたりまえはもしかしたらあたりまえではないかも知れない。

そんな見方も出きるかも?

こだわりを捨てて世の中を広く見ることを少しかじったかもしれません。

 

私がその時いろんなことを調べる楽しみを知っていたら……

理科を苦手と思わずに、興味深々な女の子になっていたのにと思えます。

今は仕事自体が理科と直結しているので体験と理窟を組み合わせるのが楽しいです。

この年になってはじめて理科の勉強の面白さ実感しています。

 

自然との関わりのなかで不思議を見つめる理科教育。

  文学においても

  音楽や絵画などの芸術においても

  数学や物理や生物や化学や地理や歴

 

  史等々の学問においても

理科教育は全ての基本のような気がします。

 

“考える力”とか“生きる力”とか言いますが、理科教育には子供の心を豊かに逞しくする要素が満載です。

 

いじめだとか犯罪だとか自殺だとか心配ことが多い昨今。

 

大人も子供もみんなで身近な自然に飛び出してみるのはいいことではないでしょうか。

自然にはこんなにも豊かな光や音や匂いや色で満たされていることを肌で感じることはとても大切なことだと思います。

 

先日新聞にこんな記事がありました。

理科教育の道しるべ

『夕日を見て感動できる子供を育てることが理科教育では必要』

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